岩永市長の選挙公約の中に、「脱箱物行政」という言葉があった。
この言葉は、当時、多くの市民にとって分かりやすい言葉だったと思う。
これまでのように、大きな施設を建てることを優先する行政ではなく、市民の暮らし、福祉、子育て、防災、地域活動、日々の困りごとに目を向ける行政へ変えていく。
そのような意味として、受け止めた市民も少なくなかったのではないか。
しかし、ここで大切なことは、箱物そのものを否定することではない。
必要な箱物は、必要である。
市民活動の拠点、子育て支援の場、防災拠点、スポーツ施設、地域交流の場、福祉や健康づくりのための施設など、公共施設には市民生活を支える重要な役割がある。
公共施設を一切つくるな、という話ではない。
行政には、必要な施設を整備する責任がある。
問題は、そこではない。
本当に問うべきは、岩永市長が掲げた**「脱箱物行政」**という言葉と、その後の市政運営との整合性である。
岩永市長の市政の中では、まるーむ、みなくるプラザ、水口体育館など、大型施設の整備が目立つ。
もちろん、それぞれの施設には、それぞれの目的がある。
まるーむには市民活動や自治振興、地域活動の拠点としての役割がある。
みなくるプラザにも、地域の利用や公共サービスの拠点としての役割がある。
水口体育館も、市民のスポーツ振興や健康づくりに必要な施設である。
だから、これらの施設を単純に「箱物だから悪い」と言うつもりはない。
必要なものは必要である。
しかし、だからこそ、市長には説明責任がある。
「脱箱物行政」とは、何を意味していたのか。
箱物を一切つくらないという意味だったのか。
それとも、必要性、費用対効果、維持管理費、将来負担、市民への説明を徹底したうえで、真に必要な施設だけを整備するという意味だったのか。
もし後者であるならば、市長は、その基準を市民に説明すべきである。
なぜ、その施設が必要だったのか。
どれだけ市民に利用されているのか。
維持管理費は、今後どれほど必要になるのか。
建設費だけではなく、将来世代にどのような負担を残すのか。
他の課題よりも優先した理由は何だったのか。
そして何より、選挙時に掲げた「脱箱物行政」と、これらの大型施設整備は、どのように整合するのか。
ここが曖昧なままでは、市民から見れば、結局、従来型の箱物行政と何が違うのか、という疑問が残る。
「脱箱物行政」という言葉は、選挙のときだけ使えばよい言葉ではない。
むしろ、当選後の市政運営の中で、その意味が問われる言葉である。
政治家の公約は、選挙のためのキャッチフレーズではない。
市民との約束であり、市政を進めるうえでの判断基準である。
だからこそ、岩永市長には、いま改めて説明してほしい。
「脱箱物行政」とは、何だったのか。
大型施設を整備してきた現在の市政を、市長自身はどのように総括するのか。
必要な箱物は必要である。
だからこそ、必要な箱物と、そうでない箱物を分ける基準が必要である。
そして、その基準を市民に分かる言葉で説明することが、政治の責任である。
問うているのは、箱物をつくったことそのものではない。
問うているのは、「脱箱物行政」と掲げた市長が、結果として大型施設を整備してきたことについて、市民にどう説明するのかということである。
市民は、言葉だけを見ているのではない。
その言葉が、実際の市政にどう反映されたのかを見ている。
「脱箱物行政」という言葉を掲げた以上、岩永市長は、その言葉の意味と、その後の市政の結果について、きちんと市民に説明する必要がある。
必要な箱物は必要である。
だからこそ、なおさら、政治家の言葉は重い。
「脱箱物行政」とは何だったのか。
岩永市長は、この言葉をどう総括するのか。
「箱物市長」なのか「脱箱物市長」なのか。
いま問われているのは、まさにそこではないだろうか。